紙と場の境界線が揺らぐ
久部三成(菅田将暉さん)が、あの夜遅くまで机に向かって原稿をひたすら書き直す姿が胸に残る。
リカ(二階堂ふみさん)と蓬莱省吾(神木隆之介さん)の率直な言葉が久部の内側を揺らし、あの瞬間――原稿をビリビリに破る選択に至る舞台裏の熱を感じた。
紙に書かれた“正解”ではなく、場としての“熱”に作品を引き戻すその行為に、思わず息を止めてしまった。
稽古場という圧と解放
読み合わせが始まり、声が出ないトニー(市原隼人さん)の存在感のなさに、稽古場の“空気”がひどく冷えていく感じがした。
演者たちと久部のズレ、演出感覚と実用性とのズレ、距離感。
でもフォルモン(西村瑞樹さん)が自らの笑いの役割を見直すあたりから、場が少しずつ変わり始めてる予感があって胸が高鳴る。
笑いも芝居も、「役割」が変わる瞬間の揺らぎにこそ意味があるんだ、と思わせてくれた。
あの破片が残す余白
原稿を破るという強い仕草で、ドラマは紙のうえの世界から“生きた声”の世界へ大きく切り替わったように思う。
ただ、破れた紙の残骸が見せるものは虚無ではなく、むしろ「これから」の声の余白。
既成の構造を壊すことで稽古場は開かれ、登場人物ひとりひとりの主張が立ち上がる土壌になったように感じる。
肌で伝わる予感と緊張
第3話は、まだ一歩も幕は上がっていない。
でももうすでに、声が立ち上がり、身体が動き始めてる気配。
その濃密な緊張がずっと残る。
誰かが声を得るとき、生まれ変わるとき、その瞬間を見逃したくない。
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