「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」第4話の感想|揺れ動く舞台裏と交錯する二つの世界【ネタバレなし】

本ページはプロモーションが含まれています

劇場のカーテンが開く直前、あの瞬間の胸の高鳴り。
それが期待だけじゃなく、一抹の不安を含んでいることに気づかされる1話だったけれど、4話でもそれがくっきり浮かび上がった。
このドラマ、現場の熱量だけじゃなく“私たちが見せられていない舞台裏”までも丁寧に映し出してくるから、観ていて飽きる暇がない。

追い込みの日々と役者たちの本音

劇場〈WS劇場〉での「夏の夜の夢」公演を前に、久部三成(菅田将暉さん)は自信満々で、倖田リカ(二階堂ふみさん)や蓬莱省吾(神木隆之介さん)らもそれぞれに追い込み準備をしている。
その一方で、少しずつ心の揺らぎも描かれていて、「本当にこの舞台は私たちのためのものなのか?」という問いが観ているこちらにも響いてきた。
舞台が近づくほど、「舞台上」と「舞台裏」の境界がぼやけてきて、そこがたまらなくリアル。

神社という場が映す“もうひとつの現実”

八分神社の社務所に訪れた清原(坂東新悟さん)をきっかけに、巫女・樹里(浜辺美波さん)の疲弊と疑問があらわになる。
「一日も早く出て行きたいんです」という樹里の言葉、自分を取り巻く場所に対する違和感。
劇場の熱狂とは裏腹に、神社という場所では時間の進み方も、求められるものも違っていて、そのコントラストがこの回では特に効いていた。

“夢”と“現実”が交錯する時の静かな爆発

清原が示した劇場のチラシ、その瞬間から神社と劇場という二つの世界が明確にリンクして、「舞台というものはどこへ向かうのか」「誰のための舞台か」という問いが立ち上がる。
さらに、リカと論平(坂東彌十郎さん)の言葉の応酬には、「芸術」と「信仰」、あるいは「表現」と「秩序」のせめぎあいが見えて、胸がざわついた。
場面転換やセリフの間で、「あ、ここ何かが変わる」と感じる瞬間が複数あって、見るたびに背筋がぞくっとする。

4話にして、このドラマがただの“青春群像劇”じゃないと確信した。
舞台も神社も、若者も年長者も、夢かもしれないし現実かもしれない、そのあやふやな領域で揺れている。
次の幕がどう開くか、構えてしまうけど、それ以上に「あのシーン」が頭から離れないから、きっとこの先もずっと一緒に“舞台裏”を歩きたくなる。

「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」の関連グッズを楽天ブックスで探す
「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」の関連グッズをAmazonで探す

コメント